透明少女
どうも、空飛ぶタイヤです。
クーラー病になりました。
今日はチャリンチャリン大喜利でも観に行こうと思ってたのですが、風邪ひいたんですいません。家で横になってツイッター見てます。
ブログのコンセプトも無いし、適当に綴ってます。
今日は僕の中学・高校時代について
僕の母校は地元では2番目くらいに賢い中高一貫校です。
神童だったんだぜ。
冗談です。
親が努力してくれたんだと思います。なんだかんだでお陰様な人生なんです。
一人暮らしで、地元以外の景色を見る事が当たり前になっているのも、進学校に通えてたから、親が無理してくれたからでしょう。
そんな僕の中学・高校生活は、実に怠惰なものでした。
小学校の時に勉強を親から(させられてた)という反動から、全く勉強が出来なくなりました。
ひどいもんです。
進学校に限らず、青春時代のヒエラルキーはド不良、超ガリ勉、スポーツ万能のこの3種類の人間がピラミッドの頂点に居て、そこから徐々に底辺に下がっていきます。
僕は最底辺でした。
何とかいじめられないように!
と、スポーツ万能と不良グループのキョロ充をやってた期間もありましたが
結局、ボーリングの人数集めとか、そんなんしか呼ばれませんでしたね。
喜んで行ったらパシリです。
ガリ勉連中は単純に僕のことはクソを見る目です。
ですがこれは、冗談抜きで良い経験になりました。人ってそんなもんだと。
アホみたいにズッ友!!アオハルかよ!!うちら最強(笑)みたいな感覚、早い段階で無くなりました。まぁ、少々拗らせました。(拗らせた話はおいおい)
まぁ学生時代は机に突っ伏して休み時間を過ごし、授業中はちゃんとノートを取り誰とも喋らず帰ってました。
それでも「あいつなんなん?ノリわっるぅ!!うぜぇな」という声は聞こえて来ましたね。無視してました。
僕は弁論大会のスピーチで何故か優秀賞を取る事が結構あったのですが、自分がでっち上げた「藁半紙によるエコ」論が適当過ぎてスピーチの最中に自分で笑えて、待ち時間10分のところ、ヘラヘラしながら20分スピーチしました。
その様が校内で結構ウケました。
ですが、速攻で先輩に呼び出されました。
ボコボコにされました。
本当に嫌でした。
そうそう、下校の途中のイオンモールにタワレコが入っており毎日視聴して帰ってました。
うちはお小遣いを親が出してくれていたので、その大半はCD購入で消えました。
とにかくずっと音楽聴いてました。
心の支えはあったんですが、だんだんと皆と同じ空気が苦しくなって来て保健室に仮病で引きこもるようになりました。
ある日、先輩の不良連中が女を連れ込んでカーテンの向こうでイチャイチャしてるのが聞こえて来て
胸糞悪くなりました。
不登校になりました。
あと、日光に浴びると蕁麻疹が出る謎の奇病が発生して日陰しか歩けなくなりました。まぁ今にして思えば自律神経がバグったんだと思います。
両親が共働きで家にいなかったので、学校からの電話は僕が切ってました。
高校3年生になってました。
小さい頃より大阪出身の父親から言われてた事として
「お前、アホな子とかどうしょうも無い奴が吉●行く。そんなアホやと吉●行かすぞ!!」
というのがありました。
小藪さんが似たような事言ってましたかね?
これ、本当に関西圏では言われてた事なんですよね。
僕は、何にも不良じゃ無かったんですが1人で学校サボってマクドナルドで落ち着いてたり、公園で●●●を●●●してるところが見つかって謹慎に2回なってます。
加えて前述の有り様でした。
担任に進路聞かれてました。
NSC行く
と答えてました。
お笑いは好きでしたが
比較的明るい展望を持ってなくて、どうでも良いや感が強かったです。
担任は驚いてましたね。
両親も驚いてましたね。
「まぁまぁ、、、
行けるとこあるやろし、、、うちは私立は行かされへんけど、、、国公立であるんちゃうか?地方とか。。。」
で、一応、探したら
東北の某国公立に受かりました。
ホント、NSCなんか行かなくて良かったです。多分、早めに自殺してました。消極的に進める物事に良い事なんか無いので。
まぁ、地元に良い思い出がないという話です。
今日は、もうちょっと音楽の話がしたかった。あと、長くなった。。。